ネコの思い出話です
やんちゃんというネコと
長いこと一緒に暮らしました
あれよあれよという間に
今ではネコだらけになりましたが
それまでの十年以上二人暮らしでした
(あ、あとカメはいました)
どれ、イイ顔しなさい! 📸✨
もともと特定の飼い主を持たない
自由気ままな放浪ネコで
立ち寄りどころが近所中にあったようです
ほとんど地域猫に近かったのかもしれません
ちょっとしたスッタモンダや交渉の末
かなりのチカラワザ 💪 を駆使し
彼女を手に入れることに成功しました
これがいちばん大変でしたが 😅
そして
動物と住める心の広い物件を必死に探し
なんとか二人で引っ越しました
(いや、カメも一緒でした)
いちおう
田舎ながら便利なところで暮らしていたので
特に必要ないかなと思い
あえて取っていなかった車の免許も
わざわざこのために頑張って取得しました
ただし
10代の頃に取った二輪のおかげで学科は免除
イイのかな?と思いながらも
すんなり受け入れさせていただきました
18歳で大往生した彼女ですが
晩年になるまでは大病もせず
貧乏飼い主を気遣ってくれてのことなのか
お安いゴハンを少量食べては
文句言いつつも上機嫌に暮らしました
まあ、ちょいちょい
肛門腺を詰まらせては切開されて
プンプン💢 怒りながら
愉快なオムツ姿を披露してくれましたが 😅
最終的には
ネコお決まりの腎臓病を患うことになり
高齢で体力が落ちていたところに
当時ウチのネコみんなに蔓延していた
劇症型のタチの悪いネコ風邪を
たった一人で全部まるっと引き受けて
あの世に持って行ってくれました
最晩年はそれなりに壮絶なものでしたが
オムツしながらも
それでも自力でトイレを目指すような
ガッツのある老女でした
息を引き取る直前
最後の最後に大暴れしてみせるなど
彼女らしいまったくあっぱれな最期でした
のちに病院で聞いたところによると
猛威を振るっていたその新型の風邪で
抵抗力の落ちた高齢ネコたちが
多く命を落としたそうです
ネコ病院に通って怖い先生に教わって
自宅での皮下輸液もずいぶんしたけれど
はじめはどうにもこうにもヘタクソで
ずいぶん彼女に叱責されました 😑
それでもさすがに
回数をこなすうちになかなか手際も良くなり
自分仕様のノウハウができて
ネコ飼いとして良い経験になったかも
でも
できればもう
誰にもあんなことやらずに済むといいな
最後に使った点滴セットと
オシッコも出なくて綺麗なままのオムツ
いまだに捨てられずにいます
たぶんこれからも捨てません 🙄
慢性の腎臓病を患って体力も落ちてるし
お婆ちゃんでもういろいろ鬱陶しいはずなのに
嫌がりもせずに付けていてくれた
彼女愛用の和柄の首輪
お葬式が済んでもしばらくの間は
リストバンドのように腕にはめて
常に一緒に行動してました
いま思うとちょっと不気味な気もしますが
出かける時は
「行くぞぉー!やんちゃん!」
帰宅すると
「みんな!やんちゃんのお帰りだー!」
常に生き物のお世話に追われて
何も変わらない普段通りのバタバタ生活から
彼女の存在だけが消えたことに
身体がついて行ってなかったのかもしれません
やんちゃんの首輪
とっても大事にしてたんです 😳 本当に
ところが
ちょっとした不注意で失くしてしまいました
ある日お手洗いに入った時
手首からするりと抜けてボチャン 💦
追いすがる私の手をすり抜けて
そのまま流れていってしまいました 🌀
・・・ああ、パッキャマラド⤵︎
もしかしたら
やんちゃんには重かったのかもしれません 😑
彼女の首輪を身につけて暮らす私の執着が 😳
あのギェーというしわがれ声で
「いいかげんにせんかいっ!」
叱りつける声が聞こえてくるようです
そしてみずから
ダイブしてジャポンッ!💦 🌀
彼女らしいといえば彼女らしい気も 😅
これもホントにホントのお話
いつもいつも
大事なものほどすぐ失くしてしまいます ⤵︎
ちまおさんも呆れるほどの未熟者です 🙇🏻♀️
まだ若くてちゃんと会社勤めもしてた頃
いろんな理不尽に遭遇して
それこそどうにもならない時
彼女の背中でずいぶん泣きました 😑
そういう時には
いつもとても寛容なやんちゃんでしたが
酔っ払ってちょっとおかしくなって
大声で歌ったり踊ったりすると
何が気に入らないのか
容赦無く急所の喉首を狙って食らいつくという
なんとも恐ろしい必殺技を持っていました 😅
恐ろしいやら可笑しいやらで
これには腹抱えて笑わせてもらいました 🤓
敬老の日くらい
夢に出てきて大暴れして欲しい
ダメですか?やんちゃん 🤔