若かった会社員時代
今ではこんなわたしも
職場の気のいい人たちに誘われるままに
ヒョコヒョコと 🚶🏻♀️🚶🏻♀️🚶🏻♀️
野外での遊びに参加したものです
当時はアウトドアブーム全盛期で
キャンプやら
潮干狩りやら
楽しい思い出がいくつもあります
その中でも群を抜いていたのが
魚釣りというか
フィッシングというか
海や山で釣り糸を垂れるアレです 🎣
まあ
わたしの場合は
釣ったり捕まえたりした獲物は
何があろうと
胃袋に入れなければ気が済まない
そういうタチでしたので
おそらく
魚釣りのほうだと思います ← 勝手なイメージ
キャッチアンドリリースはしません
無理やりキャッチして
怪我させて痛い思いさせた挙句に
再び野や海に放つなんて
わたしには
そんな残酷なことはとてもできません
ニヤリっ
その頃
少なくとも月二回
シーズンならヘタすりゃ毎週
頻繁に通っていた海があります
先輩夫婦や同期のカップル
職場の釣り好きグループ
ときには
ちょっといい感じだったヒトたちと
おデートを兼ねてのこともありました
ニヤリっ
釣りのスタイルも人それぞれで
麦わらかぶって浮きをプカプカさせる
お爺ちゃんぽい枯れたヒトもいれば 👴🏼
らーッ!
荒々しい投げ釣りを好むヒトもいました 💪🏻
あるヒトは
ちょっと一服してきます
そう言って
フラリと居なくなってしまい 🚬
そのほんの短い間に
わたしが巨大カレイと格闘の末
釣り上げる直前でバラしてしまったという
残念な事実を知らないまま
なぜかわたしに一方的に怒られるという
いわれのない被害に遭ったりしたのでした
わたしはこの頃
まだ車の免許を持っていなかったので
行くよー と声がかかれば
大抵のことは放っぽり出して
何も考えず同行させてもらいました
乗せてもらうのは
夫婦ものやカップルの車が多いので
その際は
節度あるみそっかすとして
後部座席で居眠りしたり
気配を消して寝たふりをする心配りを
つねに忘れないという徹底ぶりでした
とかく探しものなどしていると
目当てのものとは別とはいえ
ある意味
貴重なものが見つかったりするもので
この写真もそのうちのひとつです
職場の仲のいい先輩との
楽しいボート釣りの写真です
この先輩よく見ると
前の差し歯が一本欠けているため
さすがに問題があるかと思い
メールに添付して確認したところ
いいわよー 👌🏻 だそうです
・・・さすがです 👍🏻
最大限に拡大して
歯っ欠けを確認したくなる欲求は
もちろんしかたないことですが
ただし女性ですので
こちらのイメージでどうかご容赦ください
こののどかな場所や船着き場も
7年前に津波にのまれました
毎度ワクワクしながら通った道も
こうなりました
たくさんの住民が亡くなりましたし
行方不明者の捜索は
いまだに続いています
やっと復旧が進んで
あの場所も元どおりになりつつありますが
もう7年も経つというのに
放射能風評による出荷制限など
歯っ欠け先輩とボートに揺られたあの海と
今の海とはやはり全然違うものです
県産ヒラメ、タイに輸出開始
最近
地元新聞を賑わした記事の見出しです
・・・なんだべ
これでは
輸出する魚は
ヒラメなのかタイなのか
わかりづれえべ・・・
わたしは
ちょっと思ったりしました 😳
これは海の思い出ですが
震災当日とその後しばらくの間
オバサンひとりと
ネコたちがどう過ごしたか
この調子だと
明日もうちょっと書けそうな気がします
最後に音楽を貼ります
震災と原発事故の直後から
地元ラジオ局でひたすら流れていた歌です
方言を駆使して
ご当地ラブソングなどを歌っていた
地元在住の
シンガーソングライターさんの曲です
一見するとムサいにいちゃんですが
今思うと
なかなかの人だと思います
地元を嫌って離れていた有名人が
ほとぼりが冷めた頃わらわら現れて
乗っかった感丸出しで集結して
復興応援コンサートなどばかり行うのは
正直
なんだか気持ちが悪かったです
この曲は
もともとの歌詞を書き換えて
被災直後からラジオで流し始めました
わたしの地区は停電が長かったため
もちろんテレビなど見れず
情報源といえば
電池式や手回し充電のラジオだけで
夜中にロウソクと懐中電灯の明かりを頼りに
でっかいチビちゃんや
今はもういないやんちゃんと
寝袋にすっぽり入って聞いていました
この曲が良いか悪いかはわかりませんが
わたしにとっては
これもまたタイムマシーンのひとつです
音量が
妙にデカイのでお気をつけください 🙇🏻♀️
震災の数年前
冬のイベントで歌っていた頃は
この曲は本当はこういう歌詞でした