・・・ある意味 前回の続き
ショートステイの卒業により
自宅での訪問入浴を開始したトキさん
爺さんと同じ訪問入浴サービスさんにお願いして
さっそく
六月二十一日からサービス開始となりました
その日もいつも通り
飯坂温泉の温泉水をタンクに汲んで
颯爽と・・・いや、普通に登場です
トキさん初めての訪問入浴ということで
まずはサービス開始契約の書面記入や支払い指定
あとはトキさんの現在の状態について
関係者で入念な打ち合わせを行いました
メンバーは
訪問入浴責任者さん
ケアマネさん
訪看さん
ヘルパーさん
わたし
そしてもちろん主役のトキさん本人
今となってみれば
これが
最後の担当者会議となってしまいましたが
担会において特に入念に引き継がれたのは
トキさんの褥瘡部に対する取り扱い
訪問入浴サービスには
看護師さんがつねに同行していますので
処置で塗布した薬剤やドレッシング材を
入浴後にまた同様の処置をやり直してもらい
やっと訪問入浴は完了となります
爺さんが長年お世話になっていることもあり
スタッフさんたちはみんな
トキさんをよく知ってくれています
トキさんがまだ元気だった頃は
爺さんの入浴中も
無駄にウロウロチョロチョロしては
精一杯みなさんの邪魔をしていたトキさん
ええ〜
トキさんてば
軽くなっちゃって〜
ヒョイッと抱えられて
トップリお湯に浸かる痩せたトキさんを
ちょっと
ダイエットし過ぎですよねえ〜
あははははははー
みなさんと一緒にからかいながらも
わたしは感慨深く眺めていました
↑ イジメではなくお年寄りが喜ぶ「イジリ」です (゚∀゚)
認知症歴が長くなって
なんとなく忘れてしまってましたが
トキさん!
アナタは旅行大好きな
アクティブ婆さんで
かつて叔母さんが
「一緒に行きたい!」
お願いしたにもかかわらず
「ひとりの方がいい」と
つれなく却下したそうですね
おかげで
叔母さんに会うたび
わたしはボヤかれてますよ
どうです?
久しぶりに浸かる
飯坂温泉の馴染みのお湯は?
・・・結局
二回目の訪問入浴は実現しませんでしたが
最後に大好きだった飯坂温泉のお湯に
トキさんは
浸かることが出来ましたし
わたしは
浸からせてあげることが
出来ましたので
決して無駄ではなかったかと
五月くらいまでのトキさんといえば
何かコチラが尋ねれば
うーん
なんだか
わかんないなあ
めんどくさがりながらも答えてくれていましたが
最近では何をどう聞いても声にはならず
トキさんが発する言葉といえば
痛〜い・・・
いまでは細く掠れた悲鳴ばかり
最後の最後までトキさんを苦しめた
褥瘡(床ずれ)という
じつに過酷で残酷な疾患が
トキさんのその悲鳴の理由でした
看取りまで在宅で
そう方針を決めたのはもう数年前のこと
あ、徘徊で警察のご厄介になった際
そのことについて次女姉が さんざん文句を言ったので
「だったら自分でケアマネさん呼んで入所の手配しなはれ!」
そう突き放してやったところ
どうやらその責任を負う勇気も覚悟も無かったようで
実際に事に及ぶことはありませんでしたが
・・・トキさん、危うし (゚∀゚)
老いは病気や怪我ではないのですから
衰えを緩やかにすることは出来ても
健康食品の通販CMのように
突然シャキーンッ!などと
若返ることはもうありませんし
ましてやトキさんの場合
嚥下機能の低下だけでなく
認知症の進行のせいで
食べる理由を見失って忘れてしまい
モグモグするの
もうなんか
面倒くさい・・・
そんな風に思い込んでしまったのではないか?
わたしはそう考えています
半年以上前
グイグイ来る系のヘルパーさんと一緒に
トキさ〜ん!
何か食べたいものってある?
試しに聞いてみたことがありました
その際トキさんは
イカとタコが
食べた〜いっ!
よりにもよって
飲み込みづらい代表のような
この連中をピンポイントでチョイスして
思わぬ大声で叫んだものですから
もういっそ
ちゅ〜る 食べさせっぺか (゚∀゚)
面白ヘルパーさんと大笑いして
ズコーーッ!となったのが
歴史上かの有名な
イカとタコ事件(?)なのです
いま思うとこれは
トキさん渾身のギャグ
だったのではなかったのかと (゚∀゚)
・・・は、おいといて
そんなトキさんでしたから
無理な延命は施さず
飲み込みが出来なくなり
衰えていき
自然に寝つくようになり
そのまま静かに
穏やかに終われたら・・・
そんな風に描いていた夢のビジョン
それを見事
木っ端微塵に打ち砕いてくれたのが
対策は施していたものの
やはり避けては通れなかった
ザ・褥瘡(床ずれ)
さてさて
褥瘡とはなんぞや?と申しますと
一般社団法人
日本形成外科学会さんの説明をお借りしますと
疾患の概要
褥瘡(床ずれ)は、体のある部位が長時間圧迫されたことにより、その部位の血流がなくなった結果、組織が損傷されることです。損傷の程度は、次の2つの因子の相乗効果によって決まります。圧迫されていた時間
圧迫される外からの力に反応して、生体内では色々な方向の力(これを応力といいます)が発生します。この応力によって、組織が引っ張られたりずれたりして組織のダメージが生じます
すなわち、「時間×圧迫の力」で褥瘡の重症度が決定します。健康な方に褥瘡が起こらないのは、この二つの因子が生体に影響を及ぼして組織が損傷される前に痛みやしびれを感じるため、寝返りや座り直すなどして、体位を変えるからです。
したがって、褥瘡を発症しやすい方は
長期間寝たきりを余儀なくされる方
糖尿病などの神経障害があって、痛みやしびれを感じない方
脳血管障害や脊髄疾患等で運動障害のある方
栄養状態が悪い方
高齢で皮膚が薄く弱くなっている方
が挙げられます。褥瘡はたった数時間で発症してしまうので、このような方は2、3時間ごとの体位交換が褥瘡の予防に非常に大切です。
・・・こういうことになります
もう少し掘り下げましょうか
トキさんの末期の褥瘡が
どんな状態だったか
それについて
やはり知っておいていただきたいので
日本褥瘡学会さんが 公開してる症例が
かなりトキさんに近いと思われますし
訪看さんと一緒に行った
処置の内容もほぼ同様でしたので
お写真を数枚お借りすることにしました
真皮を超えて直接あらわになった部分を
食塩水と泡ボディソープで丁寧に洗い
薬剤を塗り込んでは保護するという作業
その繰り返し
トキさんは患部も大きく重症だったため
褥瘡のプロと呼ばれ
特別な資格を持ったスーパー訪看さんも登場し
黒く壊死した部分のみを
外科的処置でカットしていくのですが
すでに壊死している組織のため
処置の痛みはとくに感じてはいないようでした
それよりもトキさんを苦しめていたのは
毎日繰り返される洗浄と薬剤塗布
その際に生じるであろう痛みだったのですが
それがいったい
どれほどのものなのか
正直なところ
わたしはどうしても
それを共感してあげることが出来ませんでした
なぜなら
この痛みを想像することは
わたしの乏しい経験や記憶では
とうてい不可能でしたので
トキさんの処置に使用するため
例によって例のごとく
わたしが考えて作った怪しい発明品の数々
トキさんが亡くなってからの訪看さんとの雑談で
「あんなにすぐに亡くなるなら
辛い治療で痛い思いさせなくてもよかったですかねえ?」
とりあえず言ってみるのですが
どの訪看さんも塩っぱい感じで困ってしまうので
・・・困らせるのはもうやめました (゚∀゚)
・・・これが
トキさんの褥瘡でしたが
きちんと知っておきたい
そう思う方は
アクセスしてぜひ全項目をお読みください
・・・何ヶ月前のことでしたでしょうか
一家での帰郷を機に
嫁ぎ先と実家の介護に
本格的に向き合いだした長女姉
思うように食事が取れなくなり
ベッドで過ごすことが多くなった
衰えていくトキさんを目の当たりにして
とある迷いを生じ始めたようでした
胃ろうにすれば
まだ生きられるのだとしたら
まだ間に合うのだとしたら
姉たちにすべてを託されたわたしが
関係者とどれだけ話し合い
どれだけの書類にサイン押印して
この行き着く先を
入念にセッティングしてきたか
長女姉が知らないはずはないのですが
モヤモヤを解消するため
訪看さんにお願いして
長女姉との話し合いの時間をとってもらうことに
それをどう受け止めたかはわかりませんが
それ以降は
どうやら方針を受け入れたようでした
とはいえこのわたしとて
最後まで迷いはつきませんでしたが・・・
終末期についての家族の向き合い方に関して
いろいろな記事を探しては
チョイチョイ読んではいましたが
経験した今になって見つけたこの先生のお話が
一番わかりやすく
かつ真っ当なのではないか
わたしはそんな気がしましたので
参考までにぜひ読んでみてください ぜひ全項目を
どうもありがとう
たんぽぽ先生・・・ って、誰? (゚∀゚)
そして
その日がやって来ました
あくまでたまたまでしたが
でっかいチビちゃんもこの日
最後の恩返しにやって来ていました
おやおやおや?
長女姉の太い腕に
首根っこをガッツリ押さえられてるせいか
でっかいチビちゃんの表情が冴えませんね
それとも
でっかいチビちゃんなりに
何かを感じ取っていたのでしょうか
ううう・・・
・・・く、くびが
ぐ、ぐるじい・・・
離すぞよっ!
か、顔がっ!
オイ、おまえ
見てないで助けるぞよっ!
でっかいチビちゃん
たまらず長女姉から逃走です
いまぞよっ!
逃げるぞよっ!
ここまで来れば大丈夫ぞよな?
しめしめ・・・あれ?
でっかいチビちゃんがいくら
布団の上を
ドスドス歩いても
布団の中に
モゾモゾ潜り込んでも
意識レベルの下がったトキさんはもう
これまでしてきたように
グイッと抱き寄せようともしませんでした
ですので
親方にはいったんケージにお戻りいただいて
前日くらいからですが
明らかに呼吸が変わり始め
ゴロゴロといかにも苦しそうでしたので
訪看さんの指導を受けながら
とりあえず痰の吸引タイムをはさむことに
コロコロ付きキッチンワゴンに設置してある
隣の部屋の爺さんの吸引器を
トキさんのベッド横まで転がしてきて
まずは訪看さんのプロのお手並み拝見です
カテーテルを鼻から挿入
そんな荒技に感嘆しつつも
さすがにちょっと無理・・・
ですので
口を開けてのスタンダードな方法で
何につけても無駄に器用なわたしが
デモンストレーションを兼ねて
まずは最初にトライです
爺さんでさんざん練習してきたこともあり
久しぶりにもかかわらず上々の出来
続いては次女姉
これまでもなぜか断固拒否
爺さんの痰が張り付いて
危うく死にかけた数年前も
ノー吸引を貫いた超問題児
この期に及んで
コソコソ逃げ出そうとする次女姉を捕まえて
叱りつけつつ理屈とコツを教えて
無理やりにカテーテルを握らせました
手先の不器用さには定評のある次女姉
生まれて初めての痰の吸引です あり得ん (゚∀゚)
トキさんへの気遣いゼロが功を奏したのか
まあまあ・・・というか
そこそこの吸引を披露
お次は長女姉の番
かつて埼玉在住で
絶賛遠隔操作介護の頃
アンタたち
痰の吸引くらい
ちゃんとしなさいよ
・・・的な
上から発言にカチンと来てたものですが
結果
ヘタレのビビりが判明
見たところ
どうやら感情に負けてしまい
弱ったトキさんの喉へのカテーテル挿入に
勇気が出せず躊躇してしまうようでした
あの次女姉よりもポンコツとは!
・・・なんだか嬉しくなりました (゚∀゚)
トキさんは意識も薄いままで
予断を許さない状況ながらも
正直なところ
数日は
こんな感じが 続くのでは?
今夜が峠とか危篤状態とか
そこまでは考えていなかったため
わたしはでっかいチビちゃんと一緒に
ネコだけが待つアパートに帰宅することに
大事なこの日
立派に仕事をこなしてくれた
でっかいチビちゃんでしたが
長い時間でさすがにかなりのお疲れモード
狭苦しいケージの中で
ヒャ!ヒャ!と
小声でずっと文句を言っていましたし
そろそろ我慢ももう限界のようでした
実家にはそのまま
泊まり込みの長女姉と次女姉が 残りました
六月二十六日から翌日へ
その日付が変わる頃
長女姉から着信が入りました あ、LINE電話 (゚∀゚)
いま
止まった
了解ですとだけ短く答えて
訝しげなネコたちに声かけしてから
部屋を出て車に乗り込みました
自称「鳥目」のこともあり
夜の運転は苦手でほぼしないのですが
街灯もない夜道を法定速度で向かう道中
わたしは別に泣くわけでもなく
妙に落ち着いていました
およそ7分後 近いな、オイ (゚∀゚)
まだ温かいままで
ただ呼吸することのみやめてしまっていた
トキさんのところに到着しました
・・・ん?
ということはつまり
アレアレアレ?
・・・わたしったら
看取ってませんよね!
キャハッ!
やれ在宅だ
やれ看取りだ
さんざん偉そうに語ってきたにもかかわらず
わたしは厳密に言うと
トキさんを看取ってはいないわけで
しかもよりによって
最期の一息
いわゆるその瞬間に居合わせたのは
あの(!)次女姉だったそうです (゚∀゚)
まあ、もしかしたらコレも
例のトキさん渾身のギャグで
もはやあえて狙った可能性もあるのかな、と
まだ亡くなる前に姉たちは
わたしの私物パルスオキシメーターで 超貴重!
トキさんの酸素飽和度を測定してみたそうですが
測定値はやはり80%なかばがやっとで
やがてそれも計測不能に・・・
姉たちの連絡を受けて訪看さんが到着し
真夜中に
スッピンの女が4人揃いました 失礼 (゚∀゚)
その日の当番は
例の褥瘡のプロフェッショナルさんで
静かな挨拶を交わした後
トキさんに触れ死亡確認を終え
エンゼルケアの開始です
訪問看護のエンゼルケアとは | 足立区の訪問看護ステーション「はなもも」
身体清拭後のパジャマからのお着替えで
トキさんらしい服を!と
わたしは薄紫のジャケットを選びましたが
トキさんのお気に入りなど姉たちは知りませんし
知っているとすればおそらく
デイやショートに送り出すために
ワチャワチャしながら一緒に着替えさせた
わたしと朝のヘルパーさんくらいでしょうから
あ、あと合わせるズボンの色で揉めました (゚∀゚)
朝になったら
先生が来ますから
・・・訪看さんが帰っていきました
なんやかやで
そのまま寝ずに夜が明けて七時半が過ぎた頃
待ち焦がれた主治医の先生が
正式な死亡確認に訪れました
よく火サスや土ワイで観てきた例のアレです
先生が遺体に触れて確認しながら
時計を見て言うあのセリフ
六月二十七日 七時五十分
お亡くなりです
すでに訪看さんが確認済みでしたが
死亡診断書的には
先生が確認したこの時刻記載となります
トキさん
眠ってるみたいですねえ
そう言って先生は帰って行きました
数時間後
診療所に出向いて受け取って来た
出来上がった死亡診断書がコチラ
直接死因 老衰
以下の項目は空欄のまま
じつにアッサリした内容です
よく言われることですが
たとえばもしも自宅で亡くなって
在宅看取りの体制を整えていなかったり
しかも何かしらの延命を施していたなら
この「老衰」のみという記載は
決して得ることが出来なかったものでした
ご存知の方も多いかとは思いますが
状況によっては最悪の場合
警察への連絡ののち警察医による検案が行われ
死亡診断書はそのままの書式で
死体検案書と名前を変えなければなりません
いよいよとなって看取れない場合は
やはり救急搬送が無難かと
まあ、余計なお世話かもしれませんが (゚∀゚)
非常にタメになる記事でしたのでぜひ読んでみてください
「老衰死」の実数は統計より多い、死亡診断書“書き換え”のトリック | 医療・介護 大転換 | ダイヤモンド・オンライン
これが長かった
トキさん
最後の丸一日の顛末です
この終着点に向かって
さまざまな話し合いや準備を重ねた結果
心がまえがギリギリ出来ていたため
なんとか逃げ出すことなく
最後までやり遂げることができました
あまりにあっという間でしたので
あんなに苦労した要介護5も
結局ひと月ほどしか適用されませんでしたが
まもなく老衰で亡くなるトキさんを
謎の要介護4のままにしなかったこと
ここはぜひ胸を張って自慢したいですし
わたし的には
裁判所から飛び出して来る原告団のように
この「老衰」とのみ記入された
アッサリした死亡診断書を手に持って
老衰!
老衰!
そう叫びながら
いっそご近所中のドアを
一軒一軒
叩いて回ろうかと思ったくらいでした 通報案件!
その後
長女姉は事あるごとにメソメソ泣き
次女姉といえばあいかわらず
空気を読まない振る舞いで
さっそく各方面への連絡に追われ
大忙しとなったこのわたしを
とにかく
イラッとさせたものでした
そんなわたしですが
決して泣かなかったわけではありません
エンゼルケアを終えた訪看さんが帰って行き
まるでこれまで通り
介護ベッドで眠っているかのようなトキさんに
クソゥッ!と
某CTU捜査官みたいに
吐き捨てるように言って少し泣きました
忙しくてまだシーズン7までしか録画観れてません (゚∀゚)
最後の引き継ぎメモです
亡くなる前々日まで誤嚥もせず
わたしのネタママノメールくんでこんなに飲んでくれた
頑張り屋さんのトキさんでした
あ、ウンコを大量にしたのは爺さんです (゚∀゚)
本当に長い長い一日で
でっかいチビちゃんのいつもの恩返しで
ちょっとだけ場が盛り上がったのも
ずっと遠い以前の出来事のようでした
介護の責任を果たし
ひとまずほっとひと息
・・・となればよかったのですが
ほぼ一睡もしていない状態をキープしたまま
トキさんを送り出すための
よく知らんセレモニーに
体力と気力そして貯蓄をすり減らしつつ
今度は遺族として果たさなければならない
よくわからん手続きのオンパレード
ようやく過ぎた
某CTU捜査官ばりの24時間でしたが
その彼ばりの困難が
わたしを次々と待ち受けていたのでした
あ、忘れてました
トキさん
お疲れさま! (゚∀゚)
外伝の外伝
わたしは基本
音楽のチカラとか
スポーツのチカラだとか
そういう前向きなモノなんか
いっさい信じないタイプなのですが
この精神的・肉体的に過酷な日々を
己を鼓舞しなんとか乗り切るため
チカラを借りたのはまさにこの音楽たちでした
ここ数年ずっと
実家に通う車の中で聴いていた桜吹雪
昔のトキさんの憧れのヒト
車でいつもマスクの下ではガンガン歌ってました
作家の急逝により
それこそ終わらないまま終わったことで
わたしを絶望で放心させたベル〇ルクの楽曲
マジでめっちゃカッコ良すので
食わず嫌いはやめてぜひ探して試聴してみましょう
ただし歌詞を見ないと
ナニ言ってんのかほぼわからんので歌う時はこうなります
フフフフ〜ン🎵 フフッフ🎵フフ〜フフンフン🎵
あ、コレは一曲目「灰よ」ですけども (゚∀゚)