ロード・オブ・ザ・要介護5
などという
わたしの母トキの介護にまつわる
それはそれは長い長いお話
その7回にもわたるしつこいお話は
八月はじめにようやく終わりましたが
じつは母(以降トキさん)の人生の長い旅も
六月二十七日に完結を迎えていました
トキさんの容体が目に見えて悪化したのは
六月に入って少ししてからのことでしたので
その後に起きた出来事について
今回からは外伝として
最後のおよそ十日間から
初めて尽くしの
葬儀、四十九日、新盆 までの
スッタモンダのドタバタ活劇を
数回にわけて
お話ししていきたいと思います また続くんかい (゚∀゚)
本当のことを言うと
母の名は「トキ」ですので
『トキ外伝』としたかったのですが
そうすると
核戦争で荒廃した二十世紀末(⁉︎)を舞台とした
超有名某格闘漫画のスピンオフと
勘違いされる方がいて
読み進めて途中で別物だと気づき
「ひでぶっ!」となると面倒くさいので
・・・やめました あ、いないとは思いますけども (゚∀゚)
ちなみにその元ネタとなった懐かしのフレッシュジャンプ掲載
読み切り版「北斗の拳」にビビビッときた汚れなき少女がおり
高校受験を控えている身にもにもかかわらず余裕ブッこいて
カッターでページを丁寧に切り出してファイリングし
保存版にして愛蔵したとかしないとか (゚∀゚)
ここでいま一度
あらためて時系列を整理してみましょう
トキさんが亡くなったのが
六月二十七日のことですので
これ以降の更新内容には
すでに故人となったトキさんの記録
・・・というか
思い出話や懐かし写真館的な要素が加わって
ただでさえ
意味不明な点が多いにもかかわらず
さらにとっ散らかって
混乱を極めたものとなっていきました
そもそもの目的はというと
否が応でもわたしが妙に詳しくなってしまった
介護認定の基本や応用を紹介しながら
トキさんの
面白エピソードを振り返ろう
そう思いたって
残り時間のうちにと急ぎつつも
ある意味満を辞して始めたお話でした
その2回めの更新を終えてから
十日も経たずに結局
トキさんは亡くなってしまったわけですので
これは完全にわたしの
計算ミスというか
見込み違いというか
見通しの甘さというか
それらが露呈したわけで・・・
下書きがほぼ出来ていた3回目から
少しずつ軌道修正しながらも
トキさんが亡くなったことは
しれっとスルーして
一連の記事の更新を終えました
ここからは
トキさんが
どのように終わったか
もしくは
トキさんを
どのように終わらせたか
看取りの日までの
十日とちょっとの出来事を
順序立ててお伝えしたいと思います
今年の二月
あれだけ徘徊が大好きだったトキさんが
関節炎をきっかけにいっさい歩けなくなり
あきらかにフェーズが変わったことに
誰もが気づき始めた頃
そしてそれはちょうどわたしが
トキさんの要介護5への区変を
最初に市役所に申請した頃
訪問看護ステーションによる
トキさん看護計画は
当時このような内容で作成されていました
訪看さんたちはこの計画書に基づいて
二月以降の訪問を行ってくれていたわけですが
四月頃からのトキさんは
ショートから帰宅するたびに発熱したり
体調を崩すことも多くなっていました
六月中旬にさしかかったある日
いつも通りに処置して出かけた褥瘡でしたが
帰宅後の状態が
出かける前より急激に悪化しており
翌日たまたま往診だった
主治医の先生も驚くほどでした
そろそろ
ショートも限界か・・・
もうコチラでは手に負えません
すみませんがもう
ご利用をお断りさせてください
・・・本当のことを言うと
ショート先の施設が
自ら白旗をあげるのを待つつもりでしたが
施設側からの敗北宣言は聞けないまま
それでもどうやらキャパ超えで
十分なケアが追いついていないようでしたので
ケアマネさんや訪看さんの指示を仰ぎ
ショートステイからの卒業を即決
それにより
栄養摂取と褥瘡処置をメインとした
完全在宅介護が始まることになりましたが
六月二十日時点の状態によって
トキさんの看護計画はあらためて見直され
終末期ケアを行いながらの
看取りまでの体制づくり
そちらへ本格的に移行したようでした
トキさんの褥瘡の状態がかなり深刻だったため
主治医の先生の判断により
特別指示書が交付され
これまで週一だった訪看さんが
毎日必ず訪問してくれるようになりました
特別訪問看護指示書について
いちおうザックリと説明しますと
この特別指示書による訪問というのは
この指示が主治医から出された場合は
訪看さんは医療保険による制限を外れて
基本月一回の指示で14日間まで
頻繁に訪問できるようになります
もちろんタダじゃありませんけども (゚∀゚)
条件によっては月二回の指示が可能で
トキさんの場合は
真皮を超える褥瘡
この条件を満たしていたため
月二回の指示も可能だったようです
とはいえ
この二回目の指示が出される前に
残念ながら亡くなってしまいましたが・・・
えーと要するに
こりゃ
この患者
ちょっとヤバいな
主治医の先生がそう判断して
この指示を出し続ける限り
毎日ほぼ欠かさず
一日に何度も
ヘタすりゃ何人も
訪看さんが贅沢に通ってくれるということです!
そしてもちろんタダじゃありませんけども (゚∀゚)
ゼエゼエハアハア・・・
ちゃんと伝わったでしょうか?
・・・そうそう
高齢の家族が術後に退院して家に戻った際
看護師さんが
数日間訪問してくれた
そんな経験があるとしたら
おそらくこの指示書によるものかと思われます
うーん、ちょっとイマイチ・・・という方は
どうぞコチラでご確認ください
こうして
訪看さんの助けを最大限にお借りして
トキさんの最後の日々が始まりましたが
その訪看さんの訪問時間というのが
午前は8時過ぎ
午後は2時過ぎ
毎日だいたいこのパターンでしたので
長女姉とシフトを新たに組み直して
トキさんのために朝から通うことに・・・
ハードな日々の始まりでしたが
ウチの悪いオニャンコポンたちは
そんなわたしを尻目に
あいかわらず朝から晩までグウタラしては
ヘロヘロになって帰宅したわたしのために
いかにもトリッキーな場所に
ゲ〇やウ〇コを放置したりしてくれましたので
それはそれは何度も踏んづけそうになっては
クソゥッ!と
某CTU捜査官みたいに
吐き捨てるように叫んだものでした
あ、いま一挙放送を観てて「懐かしいなあ」と (゚∀゚)
・・・それでも
トキさんの旅の目的地 は
ずっと前からある場所に決まっていました
わたしひとり
関係者と何度も何度も話し合い
さまざまな書類にサイン押印して
姉たちにどんなに謗られても
みなさんと友好な関係を築き上げるため
折々の気の利いた
付け届けを欠か・・・
やらないより絶対にやったほうがいいと思いますよ (゚∀゚)
つねに自問自答しながらも
何年もかけて
用意周到にセッティングしてきた
このゴール地点
口からの栄養摂取が基本
よって
胃ろう手術→しない
経管栄養→しない
無理な点滴→しない
延命措置→施さない
あくまで
目指すは「老衰死」
六月二十一日付けの
先ほどの訪問看護計画書と一緒に
実はコチラも手渡されていました
ただこの時点では
綱渡り的な介護生活に
わたしがすっかり慣れきっていたこともあり
まだ少し先かな?
そんな気の緩みがあったのかもしれません
まさかここに記されたことが
驚くほどこの通りに次々と起き
やがてすべてが終わるその日が
もうほんの数日後まで迫って来ているとは・・・
・・・ふうっ⤵︎
伝えたいことがありすぎて
とてもじゃないですが
今回もサクッとは終われそうにありません
次回は
でっかいチビちゃんも大活躍しますので
あいかわらずのコチラで失礼します (゚∀゚)
・・・次回へ続く
トキさんのこと、わたしのこと
ご自分の事のように心配し
細やかなお気遣いをくださった方々
こんな場で大変申し訳ありませんが
そのご厚情にあらためて深く感謝申し上げます
そして、もしかしてですが
トキさんがすでに亡くなっていたことで
誰かを驚かせてしまったとしたら本当にスミマセン (゚∀゚)